津波てんでんこ、津波だ!みんな逃げよう宣言、そして稲むらの火

Dr_G2012-01-09

 東日本大震災の検証番組をみて。あの日、いろいろな手段で録画していた人が多いこと、それを公立図書館等で収集をしていることがわかった。
 大きな地震がくると津波に備え、それぞれが逃げよう(岩手県の言い伝え「津波てんでんこ」や、東日本大震災後の6月27日、三重県鳥羽市議会で採択された「津波だ!みんな逃げよう宣言」)ということになる。
 南海地震に襲われる和歌山県では、「逃げよう」が別の形で伝承されている。それが「稲むらの火」。1854年12月の安政南海地震に際し、庄屋の旦那が脱穀後のわらを燃やし高台への逃げ道を明るく照らしたという逸話を、収穫後、脱穀までの間、干してある稲を燃やし(したがってその年のコメの収穫はふいになる)、「たいへんだ火事だ」と村の住民が庄屋の屋敷のある高台に上ってきて津波の難から逃れるという話として小泉八雲が改変して紹介し、戦前の教科書にも載っていたらしい。
 この庄屋さん、実は醤油業も兼ねていて(ヤマサ醤油)、復興にあたって、再度の津波の襲来被害を減じ、かつ、村人の雇用をかねて堤防(広川町内の広村堤防=高さ5メートル長さ600メートル)を私財をなげうって(ていうか会社の金ですわね)つくったことでも有名。