赤井先生らの「提言」を読む

赤井先生ら4人組が、また「提言」を出している(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/3841/teigen20100312.html)。

地域主権」の実現に向けた地方財政抜本改革、というものであり、「4人組」メンバーの一人土居先生は、「交付税は抜本的見直し」とした仕分け人でもある。

内容の詳細な紹介はせず、気になったところをコメント。
まず、5ページ目で「一般財源化の教訓」の節があり、「一般財源を『地方によって裁量的に用途が決められた財源』とするのは、実態に即した認識ではない。」とされる。また、6ページ「地方交付税の機能の混在」の節で、「国の義務付けた支出であるにも関わらず、地方交付税で財源保障するならば、地方交付税は実質的に(特定)『補助金化』されていることになる。」
そこで、「『地方自治の本旨』を実現する地方交付税の役割」(6ページ)、つまり、地方交付税一般財源らしくすべく制度を抜本的に見直す、ことを提言している。

まったくもって正しい、と思う。

ところが、一般財源とは、地方が自由に、つまり、自己責任をもって、決定しうるものであり、「(単独事業は地方交付税の財源保障が施されているので)地方が主体的・独自に判断すべき政策にも関わらず、地方は100%財政責任を果たしていないことになる」(6ページ)から、地方交付税は、より地方自治体の財政責任が貫徹されるものに近づける方向でなかればならないとされる。
具体的には、10ページの図1で、国の義務付け部分をナショナルミニマムの最低保障に限定し、それは現行制度では、国庫補助金と、その裏負担を基準財政需要(地方税地方交付税の一部)でみているのだが、「交付金」=一活交付金でみるようになる、ということを提言している。
ナショナルミニマムの財源保障から解放された地方交付税は、地方税収の格差があることの財源調整に特化し、地方税とあわせて「一般財源」として、地方が、使い道自由な財源として、財政責任をもつこととあわせて使うようになる。財政責任をもつのであるから、地方の法人課税依存度を下げて「個人住民税や固定資産税を基幹税とする」(13ページ)とともに、「地方消費税を独立税化して、消費税率とのリンク(現行25%)を切り離す」(13ページ)ことになる。

以下はコメント。
1、新制度のもと、10ページの図表1のバランスはどう崩れるのか。歳入でいえば、総額84ミリの棒のうち、地方税33ミリ、地方交付税23ミリ、国庫補助負担金14ミリ、地方債14ミリの図になっているが、改革後も同じ高さになっている(地方交付税がチト大きすぎるとか、使用料などを考慮しないのは何だが、まあ、ほぼミリ=兆円で現状の姿となる)。補助裏を基準財政需要にのせないのであれば、補助金交付金にすることでよいのだが、それだと交付金の実額はふえるだろうし、国の義務付けやナショナルミニマムを精査するのであれば、地方税交付税部分が大きく減ることになる。
 地方財政関係者の関心事は、地方交付税地方財政制度の機能でもあるが、「量」でもある。<4/3、14:00追記>
 15ページ以降の改革の試算のところで、基礎的サービスの範囲を義務教育・警察・消防職員の給与費、生活保護費等の給付、国の計画に応じた普通建設事業費や災害復旧などの経費として、23兆円弱が交付金対象とされている。そのため、新交付税は9兆円となる。「交付税は現行の交付税から大幅に縮小することは、即、交付団体の財政運営を行き詰まれせることにはならない。これまで国庫負担金と交付税で折半されてきた基礎サービスのナショナル・ミニマム部分が全額、交付金でもって賄われるからだ」(17ページ)とされる。
 後段はそのとおりだが、要は、何をもって義務付け・基礎的サービスとするかである。このあたり、4人組のうちの2人(岩本先生、土居先生)をふくむ井堀先生らの共同研究「基準財政需要の近年の動向等に関する実証分析」、「基準財政需要に占める『義務的な費用』に関する実証分析」、2006年度の慶応大学経済学会デスカッションペーパー)を援用しているのであろう。これについての総務省の反論(基準財政需要のうち義務付けは8〜9割ある。第8回地方分権21世紀ビジョン懇談会資料)のように、現在の地方財政計画計上部分のほとんどを「義務付け」とするなら、現行の基準財政需要全体も「交付金」に化けてもよいはずだ。
 そうでないのは、「地方は基礎サービスのナショナル・ミニマム(財源保障)の超過部分と基礎サービス以外の公共サービスの財源に対して財政責任を有する。(略)地方自治体はその財源を一般財源でもって賄わなければならない。支出総額の増加は地域住民の地方税負担増とリンクする。」(14ページ)ことが、4人組の主張のカナメなのであって、現在の地方財政計画に基礎サービス部分を上回るものがあり、本来地方税の増額で賄わなければならないものにもかかわらず、ただのりしている、という評価があるのであろう。引用文中、最初が一般財源なのに、次の文章で地方税負担増と、新交付税が除外されていることに注意しておきたい。地方自治体の行うサービスの水準は地方税率とリンクするべきだ、という前提があるのであろう。だからこそ地方税部分は、なんとしてもナショナルミニマムの財源保障から切り離さなければならない。
 なお、全体として地方財政計画を上回るサービスについて増税(住民負担)でまかなうことは、現行制度の予定しているところであって、事実、超過課税は存在しているし、使用料・手数料は地財計画の約2倍の決算となっている。「全体として」という趣旨は、公共事業をやめ福祉にまわす(計画・決算乖離でさんざん議論された)ことなど、総額は一定のなかで、あるサービスをやめ、あるサービスに特化することは、一般財源である以上、自治体の裁量であろうという趣意である。<追記おわり>

2、新制度のもとでも、地方税部分には留保財源が残っている。地方交付税地方税収の財源調整に特化するのであれば、留保財源はどう扱えばよいのか。現行25%から留保財源率を大きくすべきか、かつて取り上げた西川雅史先生のように(http://d.hatena.ne.jp/Dr_G/20090614/p1。ペーパーは発見していないけれど、「第4章 道州制地域間格差:市町村の財政調整」林宜嗣・21世紀政策研究所地域再生戦略と道州制日本評論社、2009年所収、に掲載)、留保財源率の縮小という戦略はないか。
 現行制度でも、「留保財源」は基準財政需要の枠外であるので、地方自治体が自由に(責任をもって)使いうるのであって、財政力指数の小さい過疎の町村等には配当されていない。新制度でも、この格差は残ってしまう。