現場は

今回の東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた方のご冥福を祈ります。被災された方にはお見舞い申し上げます。
復興にむけての努力が始まっていますが、一日も早く、被災者と地域が、生活と生業、地域経済のずべてが復興していくことを切に望みます。そのために、私も1円玉くらいの力でしかないですが、努力と応援をします。


「日本の救世主になってください」の記者会見で泣いた人も多いと思う。私もリアルタイムでは見れなかったので、ようつべそのほかで繰り返し見ている。そして泣いている。
同じドラマが、自衛隊でも警視庁機動隊でも、電力各社の応援部隊でも、おそらく現地に行っている原子炉関連メーカー(T社、H社、M社)の技術者におきているのだろう。当初から残っている作業員たち(いわゆるFUKUSHIMA50)も、家族はそう思っている(ところで、彼ら=おそらく女子はいないだろう=への食糧や水の補給はどうしているのか。家族との連絡はとれているのか)。
「行かないで」と言いたいだろうし「こいつらをおいて行けるか」と本心では思っているだろう。でも、行くんだ。
この士気の高さが、公務・公共サービスを担っているのだ。最後まで防災放送で「逃げてください」を連呼し続けた職員もいる。岩手や宮城、福島、テレビの報道はないが、青森でも茨城でも太平洋沿岸はひどい被害を受けている。自らも被災者の自治体職員が、災害対策本部に詰めている。阪神淡路のときに、ダイエーの中内会長が、傘下の全グループに物資を神戸に集中する指示を出した(しかも、輸送コストを含めずに定価=ダイエー価格=で売ったこともあって買いだめも便乗値上げもなかった)のを思い出したが、公務・公共サービスを担うのは、公務員だけではない。医療品・水・食糧・ガソリンその他救援物資を輸送するドライバーたちもそうだ。
東京消防庁記者会見に臨んだ幹部らのすごいところは、現場の士気をよく知っていて、それを高めている。「こいつらとならやれると思った」その一言でいいんだ。自分たちの手柄話だとして得意げに話すのではなく、隊員と家族を思いやっている。実際、まずやったことは除染と健康チェックだ。彼ら自身も若い時は修羅場をくぐり、そして今は、部下に修羅場をくぐらせている。士気の高いところには、そのような幹部がいる。こういうのが人格的迫力だ。というか、いくら現場が高い士気を維持しようとしても、幹部の姿勢しだいで、士気は維持できなくなる。


その一方、「自分だけは」の発想をしている人もいる。おそらく、こうした方々が、バッシングに加担して、公務・公共サービスを担っている人々の心を折り続けているんだろう。となると、公務員バッシングをする人々が悪いのではなく、それから現場を守り切れなかった幹部の責任ということになると思う。
その意味で、「津波を天罰」といってのけた方をトップにいだきつつも、現場の士気を守った東京消防庁幹部にかさねて脱帽する。